努力偏重社会

努力することとか、全然美しくないから。
人間は苦しみから逃れたくて、
ずっと進化してきたんじゃないか

洗い物をしたくないから、洗濯機を作ったんでしょ
掃除が面倒だから掃除機を作ったんでしょ
もっとさかのぼれば、狩猟採集だと不安定だから農耕を始めたんでしょ

なんでそんなに努力することが美しいんだよ、全然よくわからないよ

日本における、小学校も、中学校も、高校も大学も社会に出てからも
努力することが美徳みたいに教えられるけど、ずっと疑問なんだよね。
二宮尊徳も、勤勉で本を読んで努力した!って教えられるけど、
彼が生きてた頃は、本とかただの娯楽で
今でいうスマホゲームみたいなもんでしょ

みんな努力することに偏重しすぎでしょ。
日本は努力偏重社会だよね。

努力すること自体は別に美しくともなんともないわけ。努力しないで済む方法を考えることに対して努力して欲しいわけ。
二宮尊徳も本当はそうだから。

けどだいたいの会社の仕事とか、みんな思い起こしてみて欲しいんだ。やる必要もない、もしくは、少し変えれば不必要な努力が山ほどあると思うんだ。

でも日本人は同調主義だから、
先輩ががんばったように、がんばって
がんばったで賞という名の年功序列のエスカレーターに乗って満足してるんじゃないかな。

そりゃ、生産性もおちるわけですよ。
革新的な製品も長らく日本で生まれないわけですよ。

もうそろそろ努力偏重社会は止めて、
日本は別の方向に進まないといけないんじゃないか、
みんな生きにくさを感じてると思うんだ。
誰も言わないだろうけど。

金がすべてなのか

金がすべてだと思うんですよ。
正確に言うと、お金がすべてになる可能性のある社会に身を置いているって方が正確かもしれない。

マルクスが、資本主義経済ではすべてのものが商品であるって定義していますが、間違いないと思います。

愛はお金で買えない!
って反論もあるかもしれない。
もちろん、愛はお金では買えません。
それは良くわかります。ただ、お金がないところに愛が生まれるかっていわれると、
資本主義社会に身を置いている以上無理な話なんですよ。
好きな人ができたら、デートに誘いますし、
よく見せるために美容院にも行きますし、
遊園地にも行きたい、プレゼントもあげたい
そうやって距離を縮めるわけです。
それらすべてにお金がかかります。

親子の愛もそうですね。
お金を稼ぐ力がなければ、親を憎みますよね。そういうものです。

遠回しには残念ながら
お金 ≒ 愛
が成り立つと思います。
成り立ってしまう社会に生きてるんですね。

金がすべてじゃないって言いますが
やっぱりどう考えても金がすべてだとおもいます。


結婚は幸せなのかという疑問

結婚して幸せになれる人ってごくわずかじゃないかな?

女性は結婚することで、社会的な労働から解放されることが幸せになっていると思うんだ。男性はどうなのか知らないけど。

でもよく考えてみれば、
東京で子供を育てて、自由な教育をさせるためにはかなりの額な年収が必要なわけで、
そういう、女性を労働から解放する=幸せにすることができる男性って上位5%くらいなんじゃないかな?
冷静に考えて幸せになれる確率は5%以下ってことになるわけで。

ひるがえって、女性も働くとなると
表の顔としては、1億総活躍社会って言ってるけど、女性が対等に働ける職場は会社の歴史が長くて、かつ社員に多くを還元できる優良企業(育児休暇を取っても業績を保てるくらいの)なわけで、そんな会社ほとんどないよねって話。

つまり結婚は幸せだって考えでは、どんどん結婚できなくなっていくと思うんだよね、
きちんと結婚することの機能的な部分 ー 老後の世話してくれるとか、次の世代を育てるとか、そういうことができるだけで十分なんじゃないかな。