成功体験を積んだら成長できると言われた時に感じる違和感について

「成功体験を積んだら成長できると言われた時に感じる違和感」を言語化できなくてモヤモヤするので、定義したいと思う。

よく組織や集団では、「成功体験を積みなさい」言われるけれど本当なのだろうか。

 

というか、そもそも成功体験ってなんなんだろうか。というか成功ってなんだろうか。というか成功も失敗も捉え方次第だけど、すごいポジティブな人はすごく成長していくけどおかしくない?!一つ一つ考えていきたい。

 

□まず、成功について定義してみる

成功するということは、目標を達成するということだ。ここまではよい。

ただこの目標を達成できた理由を振り返った時に、様々な捉え方、思考の癖、いわば思考の型が存在すると思う。以下が私の考えられる範囲の思考の型だ。

 

• 努力型: 自分の努力でうまくいった

• 能力型: 自分の能力を適切に発揮してうまくいった

• 環境型: チームがよかった、恵まれた

• 難易度型: 課題のレベルが適切だった

• 運型: 運がよかった

 

□ 具体例を挙げてみる

上記の思考の型について、具体例を考えながらイメージしてみる。

 

• 努力型の人間

典型的な体育会系タイプ、俺はこういう努力をして成功したんだから、お前も努力しろってやつ。体育会系の会社に多く存在。

 

• 能力型の人間

これはスポーツ系、クリエイティブ系職種に多いタイプ。こういう能力が自分は秀でててそれで買ったよってやつ。俺はすごいんだ、オリジナルだ、みたいな人が多い。

 

• 環境型の人間

みなさまのお陰です、と言える人。一見しっかりしていて義理堅いリーダーのように見えるが、逆に失敗した場合には、環境のせいにしがちな人間。

 

• 難易度型の人間

課題の難易度が、適切だったと振り返る人。

努力型の人からすると、もっと努力しろよと言われかねないが、着実に成長していくタイプ。

 

• 運型

全部運だったと、振り返る人

行き当たりばったりな人に多い。

 

□どの型がよいのか

上記どの型がよいのか、という点に関して言うと、全部バランスよく考えられている人がよいと思う。

ただ全体的に日本は努力型のひとが多い。努力したら報われるとか、俺も努力したんだからお前もしろという右ならえな発想とか、

個人を殺して、苦手なことをさせるとか

私の個人的な意見なので、他の人はどうかはわからないけれど。

運だったで終わらせる人ももってのほか、きちんと振り返ったら何かあるでしょう。

 

□成功体験は成長につながると言われた時のモヤモヤ

最初にもどるが、

成功体験を積んだら成長できると言われた時の違和感は、

成功体験を積むだけじゃ成長できるほど単純じゃないからだ。

成功体験をして、適切にバランスよく分析できる人が成長するんだと思う。

偏った型で捉えていると、なんら成長は見込めない。発言力だけ高くなって、間違った成功法則を吹聴して、みんな、なるほどと従う人が多いから、勘違いしているだけだ。

 

• 偏差値20から東大に行ったという本とか、

• 資産0から何億築いたとか

• 知識ゼロから社長になったとか

 

そんな本が売れるのも、少しおかしいわけで

きちんと冷静に分析しましょうねと(きちんとされてるのももちろんあります)

 

成功体験を積んでも成長はできない。

きちんとバランスよく分析できる知恵と知識が備わってこそ、リテラシーがあってこそなんだと。自分の中で納得した。